略歴(2)31歳―90歳

クリシュナムルティの略歴

※本文ではJiddu KrishnamurtiをKと表記する(括弧内の数字はKの年齢)

◆1926(31)
インドのリシ・バレーRishi Valleyに高等学校の設置が決まる。(Kとしては大学を開学したかった)

◆1926/7/19 (31)
朝約1時間「神 」(the Lord)がK を通して話した(と居合わせた者は強く感じた)。8日後の夕方のキャンプファイヤー時に再び「神」からの発言。
8/26
ニューヨーク・タイムスの質問に答えてKは結婚観を述べた。
「ひとは寂しいから結婚する。しかし、わたしには寂しいということはありえない。だれも奪えないものを私は持っているから」

◆1927/1(32)  
激しい痛みを伴い*プロセスが始まった。

*プロセス process   
(1922年) 8月17日の夕方、Kはやや疲れて、落ち着きを失った。見ると首筋の中ほどにおはじき大のこぶができ、いかにも痛そうであった。その日は何もなかったが、翌朝の朝食後、容態が明らかに悪化した。彼はベッドの上で痛そうに展転反側し、うめき声をあげた。しばらくしてそれがやんだ後、今度はちょうどマラリア患者のように全身に震えが走り、彼は歯を食いしばってそれに耐えようとした。それから、ひどく熱いと訴えた。目を見ると、異様な無意識状態になっていた。(中略)そして明くる20日にはさらに悪化しつつ、クライマックスを迎えた。(中略)夕方、われわれが夕食を終えるまで、彼は静かにしていた。すると突然、家全体がものすごい力に包まれ、Kはものに取りつかれたかのごとき様子になった。彼は誰も近づけようとせず、ただ、ひどく部屋が汚れている、ベッドも何もかも汚れていてとても我慢できないなどと口走った。
(弟のニティーアがベサント夫人に宛てた手紙)
『クリシュナムルティの世界』大野純一編訳・コスモスライブラリー(1997)

◆1929/8/3 (34)  
真理を組織的に追求することは無意味として、同教団を解散する。翌年神智学協会から脱会する。
「※真理に到る道はない。どんな道を選んでも、どんな宗教によっても、どんな流派に入っても、真理に到達することはできない。これが私の確信です。(中略)
信仰は純粋に個人の事柄であり、それを組織することなど出来ないし、すべきではない。
(中略)"あなたの教団は何人の信徒がいるのですか。数によって、あなたの言っていることが正しいか間違っているか判断しましょう"というひとたちがいる。私は信者の数など知らないし、何の関心もない。たったひとりでも解放された人間がいたら、それで十分だ。」

※真理に到る道はない。の原文: Truth is a pathless land.

◆1946/9(51)
ハッピー・バレー校The Happy Valley School開校。(アメリカ・オーハイ)

◆1953(58)
『教育と生の重要性』(Education and the Significance of Life)が初めて商業出版社から刊行される。(アメリカではHapper & Row, イギリスではGollancz)

◆1956/12(61)
ダライ・ラマDalai Lamaがインドを訪問した時、Kに会談を求める。会談後「偉大な魂だ。実に重要な体験だった。」とダライ・ラマは語る。 
この頃からインディラ・ガンジーIndira Gandhiの相談相手になる。(政治的な意思決定や問題解決にKが直接関与したわけではない。)

◆1969(74)
14歳以上の子供たちのための国際学校ブロックウッド・パーク校Brockwood Park School開校。(イギリス・ブラムデン)

◆1979/11(84)
インドのリシー・バレー滞在中、万物のエネルギーの根源に出合い、それ以後1980年1月末まで無限の拡がりと途方もない美の感覚にみたされる。 

◆1986/1/4(90)
Kは、この日、インドのバサンタ・ビハールVasanta Viharで、生涯最後の講話を次のように閉じた。
「創造ほど神聖なものはない。人生においても最も神聖なものだ。もし、それをめちゃくちゃなものにしているのなら、取り戻しなさい。明日ではいけない、今日、生き方を変えなさい。はっきりしないのなら、今はっきりさせなさい。真っ直ぐに考えられないなら、真っ直ぐに、理にかなって考えなさい。これらのことが出来ていなければ、この創造の世界には入ってこれません。終わろう。(微かな声)
(長い沈黙の後)これは最後の話です。一緒に、少し静かに座りましょうか。じゃ、みなさん、少し静かに座りましょう。」

2/17
午前0時10分、米国カリフォルニア州オーハイのパイン・コテッジPine Cottageのコショウの樹に面した部屋で死去。64年前その樹の下でKは意識の大変革を経験したのだった。死の床に付き添っていた友人のひとりププル・ジャヤカール女史Pupul Jayakarが耳にしたKの最後のことばは次のようであった。
「ププル、今夜は山に長い散歩に出ようとおもう。霧が出てきたね。」
当日朝8時に数人の友人が葬儀に列席した。祈りも儀式も行われなかった。
「死後の肉体に何の意味もない。それは材木みたいなもので、火の燃料になるだけのものだ。」 とのKの遺志に従ったのだ。

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