過去の講演会

2009.6.28  六館堂(京都・二年坂)/講演者:森本武(K's Point主宰)

演題:自己同一性滅失に向けた瞑想導入講演会

『「私」は「記憶」にすぎない。』

  J. クリシュナムルティの洞察を追体験する


4. 参加者からの投稿

思考者が思い込みと感情で、感覚の邪魔をしていたのではないか、そうおもいまいた。
最近、自分の感覚についておもいを巡らすことがよくあります。
考えない、名前のない感覚を、わたしは正しい、あるいは正確な感覚だとおもっています。それを感じるのに、邪魔が入ってかき消されてしまうことがほとんどですが、感じたことを正確に捉えようとすることは、目撃者に気づくことであるようにもおもえます。感覚では目撃者を感じても、思考者には気がついたことがありません。そのことで、思考者がわたしを支配しているのがよくわかります。
『あなた自身が完全にいなくなったとき、そこに美が存在する。』これを見たとき、よくわかるような気がしました。思考者や目撃者、瞑想…単語を並べてみて、その繋がりや関係、イメージを考えてしまうと、頭が締めつけられて痛くなってしまいます。それよりも、クリシュナムルティのその言葉と、講演会中にあがった『社会的な死』、『精神のプロセスを理解したときにだけ愛を感じる』、これらの言葉によって、わたしは正しい感覚がどれなのか気がついてきました。
「私」という思考者が支配しているところには、わたしの正しい感覚はつくられた観念と感情によってかき消されてしまうようです。

投稿者 M. R.

 

 

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