[K's Pointからのメッセージ|2011.3.22]

東北関東大震災に寄せて

  森本 武 NPO K's Point 代表


多くの同朋の生命の喪失と生活環境の破壊に対して衷心より哀悼の意を表します。また、負傷されたり、病をかかえながら治療がままならない方々、避難所などで不自由な生活を強いられている方々に、今日の生存を悲観することなく、また希望を殊更に意識することなく、生命の根源力を堅く信じて生きのびていただきたいと願うばかりです。

また、今回の大規模な災害を、直接に経験していなくても、報道される悲惨さにつよい打撃をうけた方々に、心のあつかいについて私見を述べたいとおもいます。

災害は、事実起こった事であり、起こっている事であります。「悲惨」は、地震にも、津波にもなく、原発の事故にもなく、われわれ人間の側の意識の中にあります。

だからこそ、被害者総数は歴史的記録として意味をもつものであっても、ひとりのかけがえのない妻を失った夫にしてみれば、数字は事態を理解し納得する役には立ちません。

出来事や現象ではなく、意識に焦点をあてて、この事態の真相を理解しなければなりません。
今、日本はもとより世界中の心ある人たちから、人的物的支援以外に、哀悼と同情、そして生存を支援する思念が送られてきているのをだれもが感じていることとおもいます。
この思念は、我々が言葉として知るかぎり「慈悲」というものではないでしょうか。

「慈悲には、それ独自の知性がある」とクリシュナムルティはいいます。

この慈悲の知性とはいかなるものでしょう。他者の苦を自分のものとする積極的なおせっかいの作用をもち、個々人の意識の境界壁を易々と貫通する実践的理解力を併せ持つもの、と私は推測しています。

人生は、意識の中に展開するドラマです。
意識の発生(出現)が誕生であり、意識の消滅(退去)が死、というドラマ。意識の出没する場が生の世界となりますが、慈悲は、個々人の意識の活動域を貫通して動き回れる運動性能をもつ、という点で優れものだといえるのではないかとおもいます。

この見掛け上の苦難のドラマの展開に悲観してはいけません。意識を萎えさせてはいけません。意識の力を放棄することは、大地を汚染し、地表に伸びた樹木の根から活力を奪うことに等しい行為なのですから。

ドラマは、意識の転換によって変化します。ドラマが成立している場の環境的変化はドラマ自体を変容させるのです。

あなたが、その変化を促したいのなら、思考なき慈悲の祈りをいますぐ実践してください。しかし、早急に願望に逃げるような祈りは無力です。
また、「崇高」とか「神聖」の看板にだまされてはいけません。誰かの生み出した概念に追随するだけの祈りも無力です。
願望も、概念も、時間に束縛された思考であり、慈悲の水準に到達しえないものですから、実効性をもった祈りにはならないのです。祈りが願望に堕ちないためには、それが思考とならないことが肝要です。
思考から離脱した祈りの単純な実践としては、白光のみを思念して祈ることです。
白光が地球というボールを包み込んでいる光景を意識に明瞭に描いてください。この白光こそが慈悲の物理的な姿と認識し、その光に温かさを感じとってください。
このイメージ作りは、いうまでもなく、完全に思考そのものですから、これだけでは空想ゲームにおわってしまいます。このイメージを維持しながら自己の関わりを抜き取っていく。白光の自律的な作用に委ねきった段階に至り、「祈り」の力が現出します。

なぜ、祈りは、人生というドラマに影響を与える可能性をもっているのでしょうか。

理解すべきは、「一切が変化であり同時に無変化であるという世界が在る」という実相レベルの世界観です。最大限の意識拡大をおこなって、大宇宙の世界像を空想してみて下さい。意識が無限大を志向したとき、思考の働きが「窒息」し、空想がやがて自滅する。そして、慈悲の充満した世界が出現するのだとおもいます。
現象界での矛盾を矛盾としない実相界とは?穏やかな湖を想像してください。その水中で微生物や微細な粉塵の化学反応などが活発に生じていても、湖面は板ガラスのような安定と静けさを保っているとき、湖には変化と安定が共存しているのです。
ミクロ単位の大変化がマクロ単位の無変化と等価になっている世界こそが実相の世界です。ある視点からは、静謐だけが支配する大宇宙は、すべての「出来事」を飲み込む絶対安定の世界であるといえます。
祈りは、このような世界観においていえば、超ミクロな変化をもたらす行為でしかないのですが、同等に小さな場における作用はけっして小さくないといえます。大宇宙の中の地球という球体は、例えてみるなら素粒子のレベルの大きさでしかないので、ミクロな地球を白光で包む祈りの作用に現実味を感じませんか。

この宇宙に、不平等はありません。部分をとりあげれば、ある傾向をもつ世界に見えるかもしれませんが、それと対極の世界が、すぐ隣に存在しているのです。

祈りが、この実相世界において「声」となりえたとき、そのとき、祈りはドラマを変える力を発揮するに違いありません。

 

2011年3月22日 記