その他のイベント

探求の会、K語・観察会、講演会以外のイベントの記録。

 

映像作品への詩作提供

2015.10.3(京都国際マンガミュージアム)
マチデコ・インターナショナル

マチデコ・インターナショナル

美術家の江村耕市氏ひきいるemuralaboの映像作品に、詩人アナーキー・タケとしても活動しているK's Point代表の森本武氏が、詩を提供しました。上映内容は以下のリンクよりご覧いただけます。

『江村耕市 emuralabo20150918 嘘をつくのは、とにかく、やめよう』
(音声がでます)


過去のその他のイベント-1 

Tea Party お茶を飲みながら、深い話を楽しもう!

2017.8.27(嵯峨美術大学)
『K's Point文庫「祈り 原理と作法」出版記念
 1. 本のなかで、あなたの気になったところを教えてください。
 2. ミッションと祈りの関係を考えてみる。 』

2016年度の会員特典にもなった『祈り 原理と作法』を読んで感じた気づきや疑問、確かめたいことなどを聞かせてくれませんか。
また、本書のさいごに書いた、人生のミッションと祈りについても、みなさんとお話したいとおもいます。

2016.12.10(京都嵯峨芸術大学)
人間イエスがほんとうに言いたかったこと

今回は、イエスが遺したことばを取りあげることにしました。以下に載せた剣の一節。今のあなたなら、どう理解するでしょうか。
「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。」
Put your sword back into its place; for all who take the sword will perish by the sword.  (マタイによる福音書  26章52節)

2016.7.17(京都嵯峨芸術大学)
最新作「今, 2016」の朗読。あなたのなかの今をみる。

詩人アナーキー・タケこと、K's Point代表の森本武が最新作『今, 2016』の朗読をおこないます。詩を軸にして、いつも意識のなかで置き去りになる「今」について話しませんか。

2015.12.20(京都嵯峨芸術大学)
ひとりが好きなひとの処世術

「全員野球」という奇妙なコトバがあります。だれひとり我がままは許さないよ、勝つためには、といったニュアンスなんでしょうか。
集団の責務と個人の快楽が衝突する場面が、会社や家庭においてみられます。
「ひとり、道なき大地を、自立して前進せよ」というKのコトバに忠実に生きようとすれば、集団は一層うとましい。「全員」とくくられると息苦しい。

2015.9.6(京都嵯峨芸術大学)
誰かの悩みを、自分の悩みとして探求する

誰かの抱える悩みを、参加者がまるで自分の問題のごとく受け取り、皆でその解決に向けて、意見を交換していく、という実験的な内容です。

2014.1.26(京都嵯峨芸術大学)
「Kから自立的に学ぶ」とはどういうことか

2013.11.17(京都嵯峨芸術大学)
クリシュナムルティの思想は、果たして大阪のオバチャンや山梨のオジチャンに届くのか。』 <Small Talk & Discussion>

K's Pointの存在を、友人や家族に説明するのに苦労した経験があるひとは、少なくないのではないでしょうか。普段の言葉で表現するには、Kの思想は、あまりにつかみどころがない。研究会での「対話」や「生命の本質」などの議論も、実用の意識でみる日々の生活からは遠く感じ、直ちに役立ちそうにない。  
Kの思想の説明や組織的取り組みの困難さについては、イギリスのクリシュナムルティ・センターでも、頻繁に話し合われていました。
さて、Kの思想やK's Pointの活動を、どうすれば誤解なく明解に紹介できるものか、そこを検討してみたいのです。

2013.5.19(京都嵯峨芸術大学)
本づくりのアイデアを聞かせてください』 <Tea party & Discussion>

現在K's Pointでは、こどもにも大人にも読んでもらえる、クリシュナムルティの本をつくりたいと考えていますが、テーマ以外はまだ何も決まっていません。そこで、あなたの自由な意見を聞かせてください。
その場での話の流れを重視したいので、アイデアの用意は要りません。

2013.1.27(京都嵯峨芸術大学)
「ひとりの時間」を考える』 <Small Talk & Discussion>

ひとは、ひとりで産まれてきて、ひとりで死んでいく、といわれる。
この「ひとり」が生きる時間、生きる世界は、どこまでも固有なものなのだろうか。
生涯、多くの人に出会うはずの「ひとり」の私だが、出会ったひとたちもみんな「ひとり」の中におさまっているだけなのだろうか。

[イベント報告]
『「ひとりの時間」を考える』

ひとりの状態を表す英語に、lonelinessとalonenessがある。日本語ではどちらも「孤独」と訳される場合があるが、alonenessの「ひとり」に、寂しさは伴わない。
クリシュナムルティは、”Stand alone自立しなさい(ひとり在りなさい)”と言った。それは生活の表面的な事がら、例えば収入や人間関係での自立ではなく、意識の内奥部分において、他のものに依存してはいけないという意味である。
ひとは誰かと大勢で過ごす時間も、その内面においては、皆自分だけの、固有の時間を過ごしている。ひとりきりで部屋に居るときだけが、「ひとりの時間」ではない。
とはいえ、我々の思考はどのような状況であれ、「ひとりで在る」ことを避けようと、たえず考えを巡らせたり、テレビや音楽をつけて意識のなかを満たそうとする。常に目的を持って活動していたい思考にとって、それは何よりも恐れるべきものであり、何も生み出さない無駄な時間でしかないからだ。
目を閉じて、意識の中で、ひとりになってみる。しばらく、静かに自分のシルエットがどうなっているかを見つめていると、次第に自分を内と外の世界に区別していた隔たりがなくなっていき、やがてひとりという輪郭が消滅する。
その意味においてひとりで在る時間だけが、他の存在と繋がることができるのである。
生きている時間のなかで、その時だけが、ひとりでしか知り得ないものを知るチャンスなのである。

2010.11.21(高槻市民会館)
言葉との対話

自分の中にある言葉をもっと知るために、そのエネルギーや、ねじれ具合や、わがままぶりを認めるために、言葉で対話するのではなく、言葉そのものと対話しよう。

2010.8.28(六館堂/京都・二年坂)
時間は、不安の工場!?

生きているというのは、時間の中にいることだ。時間がないと、生きているという営みの場が根元から奪われる。
心の時間というのも存在する。だれもが経験するように、楽しい時は速く、苦しい時は遅く過ぎる、と感じている。
考えるという心の運動も時間と共にある。時間は不思議だ。時間をもっと知れば、人間のこと、心のことがもっと分かるのではないか。

 

過去のその他のイベント-2

K's Point English Class 【会員限定】

クリシュナムルティの原文を読む、英語初級者のクラスができました。

2012.8.11(京都嵯峨芸術大学)
English Class #04

2012.6.30(京都嵯峨芸術大学)
English Class #03

2012.5.27(京都嵯峨芸術大学)
English Class #02

2012.4.14(京都嵯峨芸術大学)
English Class #01

English Classのきまり

 

過去のその他のイベント-3

研究会

K's Pointが主催した研究会です。

2014.5.11(光塾 COMMON CONTACT 並木町/渋谷)
『「クリシュナムルティの教えを学ぶ場」のつくり方』 

1. K's Point15年間の取組み発表
2. テーマをめぐる話し合い
発表者:森本武(NPO K's Point代表)

 

過去のその他のイベント-4

トーク+対話イベント

K's Point森本武によるテーマトークののち、参加者を交えて話しをします。

2017.8.19(古心庵/京都・太秦)
『死がやってくるまで「今」だけを生きる』

―対話のための問題提起―
だれもが、自分をめぐる環境をひきずりながら、
明日への不安から、その準備に追われている。
将来の安心に向けて、過去の経験と知識で描く
未来像などまったく信用できない。
「今」を、過去から断ち切る。
そのとき、「今」は絶対現在形の時制に書き換えられる。
これこそ、不安の根絶法じゃないのか。


2016.8.7(チーム医療研修室/東京・大塚)
『至福の日常を生きる「こころ」の正体』

肉体は、重さも感触もあるのでモノとしての実在感がしっかりしていて、扱いやすい。
それに対して、「こころ」は、自分自身の大本であると実感しながらも、調整に苦労する。「こころ」の乱舞は、人生そのものの波乱となることは明白である。
人間の根本的解放を目指したクリシュナムルティの基本思想に学び、「こころ」という存在についての理解を深めたい。

「こころが、一切のパターンをもたず、欲望の盛り上がりや、減退からも解放されることは可能なのでしょうか。ええ、明らかに可能です。そのような営みこそが、まさに「今」に生きていることなのです。」(J.クリシュナムルティ)

 

過去のその他のイベント-5

朝から!K's Point

朝の時間を使った企画です。

2016.9.3(京都嵯峨芸術大学)
『KPのウチとソト —Within KP Without KP』

自己という存在は、常に「ここ」にあって動かないもの。カラダは、ときに家庭にあり、ときに職場にあり、ときに飲み屋にあって、というぐあいに移動が常。
ところが、自己も、その場の影響を受けてフラフラしているようにみえます。
K's Pointでの交流を無垢に楽しむ自己が、場を変えると消えるのはなぜでしょう。カラダの居場所に応じて自己像を調整する機能が自動的に作動するからでしょうか。